
この記事では、老化研究の世界的権威であるニール・バルジライ博士の講演を元に、今話題の老化時計の真実と、その限界、そして未来のアンチエイジングを切り拓く次世代のバイオマーカーについて解説します。
この記事を読めば、下記3つのことがわかります。
- なぜ今、老化を測る「バイオマーカー」が世界中で注目されているのか
- 有名な「エピジェネティック時計」が抱える意外な弱点
- 老化の真実を映し出す、次世代の老化時計「プロテオミクス」とは
▼ 情報元紹介
- 講演者: ニール・バルジライ(Nir Barzilai)教授
- 経歴: アルバート・アインシュタイン医科大学老化研究所所長で、ヒト長寿遺伝子の発見や老化の遺伝学的・生物学的研究で世界的に著名な科学者。著書『Age Later』もある。
- 出典元: Nir Barzilai at ARDD2023: Biomarkers for Human Longevity
同級生なのに、なぜ“老け方”はこんなに違うの?

久しぶりに開かれた同窓会。懐かしい顔ぶれに話が弾む一方で、あなたは気づいてしまうのではありませんか。「A君は昔と全然変わらず若々しいのに、B君はなんだか、こう、すっかり落ち着いてしまったな…」と。同じ年月を生き、同じ暦年齢のはずなのに、見た目や体力、気力の差は歴然。この残酷なまでの個人差は、一体どこから来るのでしょうか。
「遺伝でしょ」「生活習慣の違いだよ」と、多くの人は漠然と理解しているつもりです。しかし、心の奥底では「自分は果たしてどちら側なのだろうか?」「自分の老化スピードは速いのか、遅いのか?」という、答えのない不安が渦巻いている。そんなこと、お見通しですよ。
この、誰もが抱く素朴な疑問に、科学の力で明確な「物差し」を与えようとするのが、今話題の「老化時計(Aging Clock)」です。自分の本当の老化ペースを知り、コントロールする。そんなSFのような時代が、もうすぐそこまで来ています。
なぜ今、世界中の科学者が「老化時計」の開発に熱狂しているの?

「老化時計」「生物学的年齢」と聞いても、どこか胡散臭い、スピリチュアルな話だと思っていませんか? それは大きな誤解です。老化時計の研究は、健康寿命を延ばし、加齢関連疾患を予防するための、極めて重要な科学分野なのです。
なぜなら、老化を遅らせる薬や治療法(アンチエイジング)を開発する上で、「その治療が本当に効いているのか」を短期間で客観的に評価する指標(バイオマーカー)が絶対に必要だからです。何十年も待って「寿命が延びましたね」では、開発が進むわけがありません。
また、個人の老化時計を知ることができれば、「あなたは将来〇〇病のリスクが高いので、今のうちから△△という対策をしましょう」といった、究極のオーダーメイド医療(個別化医療)が可能になります。老化時計は、もはや他人事ではなく、あなたの未来の健康戦略を左右する重要なツールになりつつあるのです。
“遺伝子の付箋”を読む?「老化時計」とは、一体どんな仕組み?

そもそも、どうやって「生物学的年齢」を測るのですか?
現在、最も有名で広く研究されている老化時計は、「エピジェネティック時計(Epigenetic Clock)」です。これは、私たちの遺伝情報(DNA)に付着している「目印」の変化を読み取ることで、生物学的な老化度合いを測定するものです。
遺伝子そのものは生涯変わりませんが、その働き方は生活習慣や環境因子によって常に調整されています。この調整役がDNAメチル化と呼ばれる化学的な「目印」で、これをエピジェネティクス(エピゲノム)と呼びます。加齢とともに、この目印の付き方が特定のパターンで変化することが分かっており、そのパターンを解析することで、「あなたの細胞は、実年齢に対して何歳くらい老いていますよ」と推定するのが、エピジェネティック時計の基本的な仕組みです。スタンフォード大学をはじめ、世界中の老化研究機関がこの時計の開発を競っています。
世界的権威が明かす「エピジェネティック時計の弱点」
このエピジェネティック時計は、ある時点での生物学的年齢をかなり正確に推定できる優れたツールです。しかし、バルジライ博士は自身の身体を張った実験データを示し、その「意外な弱点」を指摘します。
博士は過去10年間、糖尿病予防のためにメトホルミンという薬を服用し、カロリー制限も実践してきました。その結果、心電図のデータからAIが算出した心臓の生物学的年齢は、実年齢より12歳も若返っていました。しかし、同じ期間に測定したエピジェネティック時計(DNAメチル化)では、たった3歳しか若返っておらず、10年間の努力の成果をほとんど反映していなかったのです。
この衝撃的な結果が示すのは、エピジェネティック時計は、食事や運動、薬といった「治療介入の効果」を鋭敏に測定するには、まだ不十分かもしれない、という課題です。生物学的年齢を知るだけでなく、若返りのための行動がどれだけ効果があったかを知りたい私たちにとって、これは見過ごせない問題点と言えるでしょう。
私たちの“本当の老化”を映し出す、次世代の鏡って何?

次世代の老化時計「プロテオミクス」への期待
エピジェネティック時計の限界を踏まえ、バルジライ博士が次世代のバイオマーカーとして大きな期待を寄せているのが「プロテオミクス」です。これは、血液(血漿)中に存在する、数千種類ものタンパク質を網羅的に解析する技術です。
なぜプロテオミクスが有望なのでしょうか。博士の研究によると、加齢に伴い、私たちの血中には、細胞の外壁(細胞外マトリックス)やコラーゲンが壊れたときに出る「ゴミ」のようなタンパク質が著しく増加することが分かりました。つまり、プロテオミクスは、エピジェネティクスのような「設計図の変化」ではなく、今まさに体内で起きている組織の「崩壊」そのものをリアルタイムで捉えることができるのです。
さらに、この技術は、単に老化の度合いを測るだけではありません。老化と、身体が虚弱になる「フレイル」の状態を比較したところ、共通の変化に加えて、フレイルに特有のタンパク質(例えば、食欲を抑えるレプチンの増加など)が発見されました。これにより、将来的に「あなたは〇〇という病気の前兆が見られます」といった、より踏み込んだ予測が可能になると期待されています。
ヒントは100歳長寿者にあり!老化を遅らせる「レジリエンス」という新概念
博士の長年の研究対象である100歳以上の健康長寿者(センテナリアン)たちのプロテオーム解析は、さらに興味深い事実を明らかにしました。
- 遺伝的に老化が遅い: センテナリアンの子孫は、同年代の一般の人々と比べて、タンパク質の変化パターンが約8〜10年遅れていました。彼らは遺伝的に、老化スピードが遅い体質を持っているのです。
- 顕著な性差: 老化に伴うタンパク質の変化には、明確な男女差が見られました。女性は男性とは異なる、独自の老化パターンを辿るのです。未来の老化時計は、この性差を考慮しないと不正確になる可能性があります。
- 「レジリエンス(回復力)」という鍵: 博士は、健康長寿の究極の秘訣は、単に老化が遅いことだけでなく、病気のリスク因子を持っていても発症させない「レジリエンス(回復力・抵抗力)」にあるのではないか、という新しい概念を提唱しています。今後は、この「打たれ強さ」とも言えるレジリエンスを測定するバイオマーカーの開発が、老化研究の新たなフロンティアになると考えています。
みんなの生声
関連Q&A

Q. 老化時計はどのようにして体の老化を測るのですか?
A. 現在主流の「エピジェネティック時計」は、遺伝子のスイッチ役であるDNAメチル化という化学的な「目印」を測定します。この目印は、加齢とともに特定のパターンで変化するため、そのパターンを読み取ることで、「あなたの細胞は実年齢に対して何歳相当か」という生物学的年齢を推定します。一方で、次世代の候補である「プロテオミクス」は、血液中の数千種類のタンパク質を解析し、組織の分解物などを見ることで、今まさに体内で起きている「老化の進行度」をリアルタイムで測定しようとするものです。前者が「設計図の経年劣化」を見るのに対し、後者は「建物のリアルな傷み具合」を見るイメージです。
Q. 老化時計と成長ホルモンの関係性は何か?
A. 直接的な関係性はまだ研究途上ですが、非常に興味深い繋がりが考えられます。成長ホルモンや、その下流で働くIGF-1といったシグナルは、細胞の成長や代謝を強力にコントロールします。これらのシグナルが過剰になると、細胞の老化を早める可能性があります。老化時計は、まさにそうした細胞レベルでの老化の進行度を測定するものです。将来的には、「あなたの成長ホルモンレベルはこのくらいなので、老化時計の進みが速くなる傾向にあります。運動や食事でインスリン感受性を高めましょう」といった、具体的なアドバイスが可能になるかもしれません。
Q. 現在利用されている代表的な老化時計には何があるか?
A. 最も有名なのは、UCLAのスティーブ・ホーヴァス(Steve Horvath)博士が開発した「ホーヴァス時計(Horvath’s Clock)」をはじめとする、DNAメチル化に基づく様々なエピジェネティック時計です。これらは主に研究目的で使われていますが、一部は商業的な検査サービスとしても提供され始めています。また、最近ではニュージーランドの「ダニーデン研究」から生まれた、18種類の生体データから老化速度を測る「DunedinPoAm」なども注目されています。ただし、どの時計が最も正確かという結論はまだ出ておらず、それぞれの長所と短所を理解した上で、参考値として捉えるのが賢明です。
まとめ
さて、今回は「老化時計」の最前線について、その可能性と課題をお届けしました。
- 老化を測る「バイオマーカー」は、アンチエイジング治療の開発や個別化医療に不可欠である。
- 現在主流の「エピジェネティック時計」は、生物学的年齢の推定には優れるが、食事や運動といった「介入」の効果を測るには限界があるかもしれない。
- 血液中のタンパク質を解析する「プロテオミクス」は、老化による組織の「崩壊」を直接的に捉える、次世代の有望な老化時計候補である。
結局のところ、どんなに優れた物差しができても、それで測る自分自身の身体が健康でなければ意味がありません。
最新の老化時計の結果に一喜一憂するよりも、まずは今日の自分の身体と向き合うこと。昨日の自分より5分多く歩く、もう一口少なく食べる。その地道な積み重ねが、どんな高価な検査よりも雄弁に、あなたの若々しさを証明してくれるのですから。